今振り返ると、大きな感動はいっぱいあった      by 麻琴

 私は1987年2月20日双子の長女として生まれた。
 1480グラムの未熟児だったが、二人ともすくすく育った。このとき、もし生命力が弱かったら私は生きていなかったかもしれない。親からたくさん血をもらった。その血がなかったら、私は呼吸できなかったかもしれない。私が一番感謝したいのは産んでくれた母と血をくれた父だなぁと思う。
 生まれてよかったと思う。足にちょっと障害は残ったけど、そんなのへっちゃら。生きていれるんだからそれでいいと思う。これから頑張って生きてやる!と決意した瞬間だった。
 今振り返ると、大きな感動はいっぱいあった。普通の子よりは遅かったのかもしれないけれど、まず歩けたこと。走れたこと。自転車に乗れたこと。自転車の補助がはずれたこと。泳げたこと。いつも周りに友だちがいたこと。色々ある。特に印象に残っていることを今から書き記したいと思う。
 保育園の年長の時、もうすぐ運動会が近づいていた。年長になったら、竹馬に乗って運動場を一周するというのが恒例だったので出ることにした。みんなが次々と竹馬に乗れるようになった。私は、まだ乗れなかった。上手い子との差がどんどん広がっていったので私は焦り始めた。「このまま乗れなかったらどうしよう」という不安があった。一番低い竹馬も乗れないなんて情けない。だって、みんな高い竹馬に乗ってるから。そのとき担任のM先生が「あきらめたら」ダメ。これ、貸してあげるから家で練習してきなさい」と言って、一番低い竹馬を手渡してくれた。最初乗り気じゃなかったけど、やってみようと思った。家に帰って、親に手伝ってもらって、練習を始めた。マトモに乗れるようになったのは三日後ぐらいだった。何回も何回もやって、やっと乗れた。その時の感動を私は忘れられない。ヒザに擦り傷、足の指にマメができたけど、とにかく嬉しくて、早くM先生に見せたかった。
 この時「やればできる」ということを学んだのかもしれない。
 運動会の日は、ゆっくりだったけど、運動場を一周することができた。M先生がいなかったら、私はきっとあきらめていた。

 もう一つ印象に残っていることは、入院していたときのことだ。
 9歳の時、体がだるくなって、私は倒れた。
 病院で検査を受けたら、「入院」と言われ、私は約1ヶ月入院することになったのだ。高熱が出て、41度Cもあった。苦しくて、苦しくて、死ぬかと思った。だけど、「負けないぞ」という気持ちで、私は何とか熱を下げることができた。なぜこんな高熱が出たのか、検査をしたけど不明で、後に、それは何かの病気ではなく、母方のご先祖様が私の体を頼って下界へ降りてきていたからだとわかった。母方の実家に行き、仏の前で手を合わせた。「顔を出さないですみません」と。
 私と同じ時期に近所の幼なじみの子も入院していた。2つ下のRくん。野球が大好きで、笑うと笑顔がかわいい男の子。彼は白血病になって、ツライ抗ガン剤治療も頑張っていた。私が退院した後もずっと頑張っていた。髪の毛が抜け落ち、ひどい吐き気におそわれ、ほんとうにきつかっただれおう。Rくんの頑張り、私はすごいと思う。私に生きる勇気を与えてくれた。
 それから1年半、暑い夏の日、彼は星になった。私は悲しいというよりも、信じられなくて、まだそこにRくんがいるような気がしてならなかった。つらい。NANNDE,Rくんが・・・。と私は思った。ボロボロ泣いて、涙はずっと流れていた。でも私はRくんに「生きる」ということを教えてもらった気がする。Rくんは入院しているとき、にヤンキースの松井秀喜選手に会ったらしい。松井の大ファンだったRくんは笑顔だったという。Rくんは、もしかしたら松井選手に勇気を与えてもらったと思う。やっぱり人と人のつながりは大きいなぁと思う。
 だから私は絶対にあきらめたくない。何事も全力投球でやりたいと思う。生きているってありがたいなぁって思う。せっかく与えられた命、大事にしなくちゃ意味がない。いろんな人との出会いがあって今の私があると思う。これからも人と人のつながりを大事にしていきたいな、と思う。
 これが私に関する大きな歴史です。