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その3

自分というカラに閉じこもり、
今に満足しようとしている自分・・・
 by・りんご

 私は「一粒の麦」について、一粒の麦は、死ななければただの一粒の麦だけど、地に落ちて死ねば多くの実を結ぶというのが、私には、一粒の麦=自分かなと思いました。
 自分から何もしなければ、ただの今までの自分だけど、自分から何かやろうとすれば、多くの成果が現れ、たとえ何もなくても、得るものがあるだろう、というふうに思えました。
 たぶん、まだいくらでも解釈の仕方はあるだろうけど、私は、これが、仁の言っていた DO IT ! と同じ意味を持った言葉じゃないかなと思いました。
 でも、少し違うかなと思ったところは、表現するのに「死」を使っているところです。それだけ強い言い方だと思います。
 死ななければただの一粒の麦というのは、自分のカラに閉じこもり、何もしなければ、今という自分を何も変えることができない。今の私といっしょだな、と思いました。自分というカラに閉じこもり、何も変わろうとせずに今に満足しようとしている自分。
 早く、自分から何かやって変えていけば、今とは違う、たくさんのことを得ることができるのに。
 仁の DO IT ! 。この「一粒の麦」。
 どっちも、変えなきゃ何もできない、という意味だと思います。
 早く、地に落ちて死ねば多くの実を結ぶことができる。
 私は、まだ、若い。だから、こういうのは、早い方がいい、と思う。
 今からでも始めなきゃいけない大切なことだと私は思う。

たくさんの笑顔がほしかった・・・
    by・キューピー

 <一粒の麦>を読んで、はじめは全然意味がわかりませんでした。
 でも、2回目に読んだとき、何となくわかって、そして、考えさせられました。
 私は、一粒の麦とは、自分が生きていくか、「麦」として多くの実をつけ、人々に知られていくかの選択だと思います。
 もし、多くの実をつけるとしたら、自分を犠牲にしなければなりません。こういうことだと思って考えていると、仁が話してくれたことに、とても似ている気がします。仁が校庭で、一つの花を取り、生徒に見せたことにより、生徒は花の名前がわかり、そして花が死ぬことで生徒に知ってもらえた話です。はっきりとはわからないけど、心に響いています。
 そして、考えました。自分はどうだろう??と・・・。
 その結果、自分だったら、生きていくだろう。人に知られるよりも、自分が生きていたいから・・・。死んだ一つの花は、幸せだったのか!? それはわかりません。けれど、残った花は、きっと幸せにちがいないと思います。
 きっと、一粒の麦は、自分が生きていくよりも、たくさんの笑顔がほしかったんじゃないかな。

死ぬ=最後ではなく、死ぬ=新しい自分
    by・新子

 初めてこの<一粒の麦>を読んだときは、全然内容がわからなかった。考えれば考えるほど頭の中がゴチャゴチャになってよけいわからなくなった。けれど、考えた後、また読んでみると、少し意味がわかった。そして、わかったことから考えて、また、読んで・・・。これを繰り返していたら、自分なりの考え、自分なりの<一粒の麦>の言いたいことが少しでもわかったような気がした。
 <一粒の麦>を自分なりにだけど理解するのに、時間をたくさん使った。私の頭が、そう、いつも仁が言っているように、固まっているから、たくさんの時間が必要だったんだと思う。

 ”一粒の麦”は自分が”「死ぬ」こと”で新しいものになれる。見つけられる。「死ぬ」のがイヤで、そのままだと、何も変わらず時間だけが過ぎていく。
 死ぬ=最後ではなくて、死ぬ=新しい自分、という考えが今までの私になかったから、すごく驚いたけど、そうだな、って思った。
 死ぬっていうことは、自分が犠牲になることだけど、その後も大切だってわかった。
 ”マツバウンラン”のことも、この<一粒の麦>を読むことで理解ができたと思うし・・・。たった一粒の麦からたくさんの芽が出て、麦という形は無くなってしまうけど、それは次につなげるためで、ずっと、一粒の麦にこだわっていたら次に進めない。確かに不安だけど、今の自分を変えないと、先には進めな
い。でも、先に進みたかったら自分を変えればいい。そんなことがわかった。
 ホントに DO IT ! だね。

自分の命を愛しちゃいけないの?
    by・素子

 私は「一粒の麦」という言葉を聞いて何が何だかわからないなと思いました。
 「一粒の麦」という言葉だけを聞いても、「一粒だから何?」とかあまり考えようとしてなかったのかもしれない。
 で、いつか忘れたけど、家の近くの田んぼを見て、「あぁ、一粒の米やったらどげんなるとやかな」と思った。一粒の麦じゃ何もできんやろなと思ったり、この世全部の麦を集めたらどれくらいのパンができるのかな、と思った。自分でもしょうもないことやなと自分が本当に考えてるのかなと思った。私は考えるこ
とができないのかなと思った。
 仁から貰った資料を見て、半分納得した。
 考えてみればわかること、あたりまえのこと、そう思った。
 だけど、あたりまえなのに、何でわからなかったのかな・・・。
 でも、「一粒の麦」・・・素敵な言葉だな、ともう一度読んでいたら、一つ疑問がわいてきた。

 自分の命を愛しちゃいけないの?
 自分の命を憎まなきゃいけないの?

 素敵な言葉だけど、悲しい言葉に聞こえた。
 もう少し読んだら、違う、もっと深い意味が見えてくるのかもしれないけど・・・

でも、誰がその麦になるか・・・?
    by・麦子

     一粒の麦は、地に落ちてしねば、一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ。       〜ヨハネ福音書より〜

 これは、仁がレントゲンの時に、マツバウンランを採ってきて生徒に見せたことと同じだ。私はマツバウンランという花を全く知らなかったが、仁が採ってきたおかげで知ることができた。
 しかし、やっぱり、仁はマツバウンランを殺した。
 でも、一輪のマツバウンランのおかげで、勉強することができた。
 一粒の麦が犠牲になり、地に落ちて死んだとき、来年や再来年、その先ずっと麦が多くの実を結んでくれる。たった一粒の麦によって明日が変わっていく。
 でも、誰がその麦になるか。
 他人のために死ぬことができるのか。

 たとえば、地に落ちてしまう。でも、それが死だとは、私は思わない。
 画家だって生きているときは無名でも、死んだ後、残っていた絵が評価されることがある。一粒の麦だけでも、形として残っていれば、死にはならないと思う。ただ立っているだけなら誰にもできる。でも、他人のために犠牲になることは、簡単ではない。
 麦は直立して太陽に向かってがんばって生きようとしている。
 空にしがみついて生きていかなくても、私は、地に落ちてしまった一粒の麦の方になりたい。

 透明人間は死んでも肉のかたまり
     by・誓也

 「一粒の麦は死ななければ一粒の麦のままだが、落ちて死ねばたくさんの実をむすぶことができる」
 この文章を読んでも最初は意味不明だったんだけど、何回も繰り返し読んでみると少しずつだけれど、僕なりにわかったような気がしてきた。
 何の使命も考えも持たず、ただ何となく生きているような「透明人間」では、死んでも肉のかたまりになって終わりだ。しかし、何かの使命を持ち、毎日を意味のあるものにした人間は、たとえ寿命が短かったとしても、「透明人間」の何十倍もの量と質のいい最高の実が実るはずだ。
 僕も中学生まではおそらく「透明人間」に近い存在であったのは間違いない。
 しかし、高校生になった今、「透明人間」の自分にさよならをして、意味のある人生を送りたい。
 そのために苦しんで、きつくなって、give up したくなっても、決して give upしない。もう、「透明人間」には戻りたくない。戻らない。
 いくら壁にぶっつかっても、その壁を「バズーカ砲」でぶっ壊して前に進む。
 楽な方には絶対に逃げないと自分自身に誓った。
 そのために、僕は走り続ける。どこまでも。
 息絶えるその時まで。ひたすらに。

黄金のように光り輝く麦に会いたい
  by・輝子

 私はこの一粒の麦の気持ちがわからない。
 自ら死を選び、それで幸せなんて、私には思えないと思う。確かに麦一粒で、私は麦のおいしさを知ったかもしれない。それは、麦にも私にも、幸せだといえる。しかし、それが麦ではなくイジメられている人だったらどうだろう。
 その子は自殺して幸せを得るかもしれない。しかし、その子の親・友達はどうなるだろう。自ら死を選び、自分のことを知ってもらう。死んでしまったら知ってもらっても意味がないと思う。

 私は死を選ぶ前に、一番輝いている時期があると思う。
 麦にも、人間にも。
 マルコポーロが伝えた黄金のように光り輝く麦に出会いたいし、人間一人ひとりが充実した人生を送っているときに出会いたいと思う。
 
 もちろん、私自身も一番輝いている時期を見てもらいたいし、見せたい。
 輝いている時期だけなんて、欲張りかもしれない。けど、輝いている自分を見てくれる人は、輝いていない自分も、ちゃんとわかってくれる。周りの人はどうかわからないが、私はそういう眼で周りの人間を見ているつもり。
 だから、この先何があろうと、死のうなんて考えない。
 死のうと考えたときは、自分が変われるチャンス。
 いつもいつも頭を痛くさせているのは自分だ、と気づいて、自分もエジソンやコロンブスのような人間になりたいと思っている。

人のために何かが出来る
そんな人間になりたい  
  by・為子

 私は最初「一粒の麦」の説明を読んだとき、意味が全然わからなかった。しかし、何度も読み返していくうちにやっとわかった。
 ”一粒の麦が地に落ちて死ねば多くの実が結ばれる”
 これは、一粒の麦が落ちて死ぬことでまた新しい実をつくることができる、そういうことだと私は思った。前に、マツバウンランの話しになったとき、一本の花を採って、すると花を殺したとかかわいそうと言った人がいた。私もそう思った。でも話を聞いて、一つの花が犠牲になって死んだけれど、このたった一つの花のおかげでたくさんの人に知ってもらって、花も少しは喜んでるのかな、と思えた。

 私も、これから、自分のことばかりを考えた人間じゃなくて、いつも人のために何かができる、そんな人間になりたいと思います。
 キリスト教の聖書に書かれてあったこととかでよく私にはわかりませんが、こういうことを言いたかったのではないかと思います。

自分の気持ちに勝った者だけが
幸福を手に入れられる
     by・幸雄

 一粒の麦の意味にこう書いてあった。「自分の心を愛する者は自分のことしか考えていない。自己中心的」と書いてあって思ったことは、自分の命を愛する、つまり自分の思っていることが正しい、もしくはこうならないと嫌だという気持ちがとても強いと思う。だから、「地に落ちて死ななければ、一粒のまま」ということなので、その気持ちを捨てないと、何にも変わらないまま終わってしまうことになる、ということを思った。
 次に、「自分の命を憎む者は、その命を永遠に保つ」と書いてあったことは、自分の命を憎む、つまり自分の気持ち(考えていること)が嫌だと言う人だとと思う。
だから、自分のその気持ちを捨て、また変わった自分の気持ちを持てば、「命を永遠に保つ」ことができると思う。
 そして、「死ねば」という、自分が持っている気持ちを捨てて、乗り越えることができれば「多くの実がなり、幸福を手に入れられる」と書いてあり、思ったことは、自分の気持ちに勝った者だけが、幸福を手に入れられるんだなぁ、と思った。
 最後に「一粒の麦」とは「心」のことを意味していると思う。
 だから、「死ななければ一粒のむぎのまま」は、自分が変わらなければ何にもならない、ということだと思う。
 逆に、「死ねば多くの実を結ぶ」ということは、自分が変わることが出来たら幸せを手に入れることが出来る、ということだと思う。

死があるからこそ今の私たちがある
   by・豊

 私は一粒の麦についてレポートを書け、と言われても、仁からもらった「一粒の麦が地に落ちて死ねば何もないが、死ねば豊かに実を結ぶ」の意味がわかりませんでした。それは、その資料の考え方と自分の考えが違っていたからです。私は最初の詩を読んで、全く逆の考えを持っていたからです。
 でも何回も読み返していくうちに、だんだんその詩の意味がわかってきたような気がします。
 まず、「死」への考え方が違うな、と思いました。前の私が持っていた「死」のイメージは「死=命を失うもの。 命=何をさしおいてでも守らなければならないもの。そして体、心の死」と考えていました。
 でも、この詩が言っている「死」というのは、死ぬことには意味がなく、なぜ死んだか、どのようにして死んだかが大切だ、と思いました。
 だから、愛する者、大切な人・物のために納得して死んでいくのならば、体は朽ちても心は一生その人の心に生き続け、その人は死んだ人々の分まで豊かに実を結ぶ、と私はそう考えました。
 だから、「死=命を失うもの。命=心・愛」だと思います。
 だから、マツバウンランも仁の言うとおり、子孫のために死んでいって、その子孫は、そのマツバウンランは、その死んだマツバウンランのためにも更に種を増やし、栄えようとしていくと思います。
 そして、「種」というのは死というものがあるからこそこの世界に生存して、この世に死というものがなかったら、マツバウンランは雄花雌花に分かれて種子などを作っただろうか? 私はたぶん作っていないと思う。そしてあのマツバウンランはあのきれいな花畑にもなれず、独りぼっちで永遠に生きていかなければならないと思う。
 そして、一人というのは、人にとって、最大の恐怖であると思う。
 だから、「死」ということはとても大切なものであって、死というものは常に存在していて、死があるからこそ今の私たちがある、と私は「一粒の麦」という中から思いました。

 だから、麦も地に落ち、死ぬことがなければそれは永遠に一粒だけれども、もし地に落ちて死があれば、その麦は自分の跡に残る物を作ろうとして、種を作る。
その種にも死があるので、どんどん増え続け、麦は豊かになっていくと思う。


「一粒の麦」という言葉が、
これほど豊かにみんなの<考える力>を引き出していったことに、
仁はとても感動しています。
そして、これは、みんなが考え出したことの始まりであり、
その一部だという気がします。
この始まりを続けていけば、まだ、まだ、どれだけでも考えが広がっていき、
深まっていくように思えます。

一つひとつの回答に、仁はコメントをつけて、もう一歩踏み込んだところで、
対話していきたいと考えていますので、
ここで<一粒の麦>についての思考を終わらせないで、
折に触れて、考えを発展させていってください。

仁自身は、<いのちを食う>というテーマで、これからも問題提起をしていきます。